たい焼きって、なぜ「鯛」なの?

たい焼きは名前にも入っているように「鯛」がモチーフとされる食べ物ですが、 なぜ「鯛」なのでしょうか? 他の魚や動物でもよかったのでは? たい焼きのモチーフが、なぜ「鯛」なのか詳しく調べてみた。

今日のネタ結論

サムネイル_たいやき1
もともと、たい焼きは今川焼きが売れず、今川焼きを別の形にして販売したことがきっかけとなります。最初は、亀の形を模様した「かめ焼き」や「うさぎ焼き」、「ホームラン焼き」を作ったが売れず、「たい焼き」を作ったところ、おめでたい、安価なのにお得な感じがするということで主に工場で働く人を中心に広まったことがきっかけと言われている。

現在のたい焼き誕生は、兄弟の苦悩から生まれた?

明治42年、たい焼きは東京都麻布十番にある浪花家総本店の初代神戸清次朗と弟、源治郎が考案したと言われている。そのきっかけは家の都合で大学中退を余儀なくされた二人が心機一転なにかできないかと思い付いたのが当時流行っていた今川焼きのお店だった。

しかし、ただ今川焼きを作っても売れないと考えた二人は今川焼きの形を変えることにした。最初は兄が長寿を意味し、めでたいとのことで亀の形をした「かめ焼き」を考案するが売り上げは伸びず、次にツキ(月)を招くからめでたいとのことで「うさぎ焼き」を考案するが売れず、これならと次に考案したのは当時の野球人気にあやかった「ホームラン焼き」だった。

しかし、これもなかなか売れず、最後に思い付いたのが鯛の形をした「たい焼き」だった。
なぜたい焼きだけ売れたのか?それは鯛だけは食べれるからだ。亀やうさぎ、ホームランではなくめでたくて、本当は高価な鯛を「たい焼き」という形で一個一銭で食べられるということで流行したと言われている。

たい焼きになる前は文字焼だった?

サムネイル_たいやき2

1806年(文化3年)、職人が、白い液体で鉄板の上に鯛のようなものを描いた姿が『職人尽絵詞』という作品に描かれていた。文化文政期は江戸時代の中で最も豊かで子ども相手に駄菓子を売る商売が発展し、飴細工、鯛や亀、宝船などの形をした文字焼が流行した。

江戸時代末期から明治に移行すると、文字焼きも発展し、それまでの文字焼きは子どもも作れるようなより身近なものになり、職人が作る文字焼きは立体的な形へ変化していった。
その頃に餡を中にいれた現在のたい焼きの原点となる文字焼きができていった。

金物の発展がたい焼きを生み出した?

明治時代になり、日清、日露戦争が始まると鉱物産業が飛躍的に発展するとコストダウンし庶民の暮らしにも鉱物が使われるようになった。その頃、両型に金型を使い焼く現在の作り方に近い焼き物が作られるようになった。それから桃の形をした桃太郎焼きや丸い形の今川焼き、亀の形をした亀の子焼きなど様々な形の焼き物が流行していった。

いかがでしたでしょうか?

「たい焼き」は実は多くの失敗と試行錯誤した、結果の賜物であり、最終的にお客様が鯛の姿をした「たい焼き」を選んだと言ってもいいでしょう。

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