注目を浴びるために自分の子供を虐待? 代理ミュンヒハウゼン症候群とは?
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代理ミュンヒハウゼン症候群とは?
代理ミュンヒハウゼン症候群とは
精神疾患、つまり心の病気の一種
です。
病気というよりは虐待の一種であるという考え方もあります。
子供や高齢の家族など、主に自分が世話をしている人間に対してわざと病気にさせたり暴力を振るったりすることで、
「看病を頑張っている人」として注目してもらおうとしてしまう
のが代理ミュンヒハウゼン症候群の特徴です。
虐待そのものが子どもを傷つけるのはもちろんなのですが、ありもしない病気や怪我に対して不要な治療を施してしまうことで余計に健康を害してしまう危険性もあるため、問題は非常に複雑なものとなります。
ちなみに「代理」ではないミュンヒハウゼン症候群もあり、この場合は自分の身体を傷つけたり、自分自身の体調を偽ったりしてしまう病気ということになります。
厚労省の調査では、日本で起きた2004年以降の心中を除く虐待死のうち、約0.5%が代理ミュンヒハウゼン症候群が原因の加害によるものだとされています。
どんな例がある?
岐阜県で発生した事件が、日本で初めて代理ミュンヒハウゼン症候群が注目を集めた事件だと言えるでしょう。
この事件では逮捕された母親の子どもの5人中4人が代理ミュンヒハウゼン症候群を原因とする虐待を受けており、一部について因果関係は完全に立証されていないものの、そのうち3人が亡くなっています。
事件の始まりは、入院していた1歳の五女の点滴への汚水の混入でした。
当初から点滴のチューブに触れるなどの行動をとっていたため不審に思われていたことなどもあり、カメラによる監視が行われていました。
その中で、血管に入っているチューブに触れたり、カメラの死角になるようなところでポケットから何かを取り出すような仕草が確認されます。
その後容態が改善傾向にあったはずの五女が再び発熱したことから任意で事情を聞いたところ、複数の注射器が見つかり、母親は容疑を認めたということです。
このとき母親は「娘の具合が悪くなればずっと付き添って看病してあげられると思ったから」という主旨の動機を語っています。
そして殺意に関しては否定しました。
その後、事件の発覚以前に亡くなっていた次女、三女、四女に関しても同様に事件性が疑われ、母親は点滴への異物の混入を認めました。
この一部については当時解剖などが行われなかったことから死亡との因果関係を証明することはできませんでしたが、母親が異物の混入そのものを否定することはありませんでした。
一連の犯行に対して、母親は一貫して
「熱心に看病するよい母親と見られたかった」という主旨の発言をしてる
ほか、入院している娘に付き添っていれば同居する夫の父母の前でよい母親であり続けることへのプレッシャーから逃れられる、というような心情も語っていました。
また、この母親の夫や家族、周囲の人たちは一様に「そんなことをする人だとは思えない」と話していたといいます。
代理ミュンヒハウゼン症候群をどう考えるべきか?
こういった自己中心的な理由で理由で幼い子どもを苦しめるような犯行に及ぶことは、絶対に許されることではありません。
しかし、その自己中心的な虐待行為に及ぶに至る経緯について考えると、ただ糾弾すればよいというものでもないように思われます。
上で紹介した岐阜県の事件の犯人である母親は、
自身の幼い頃の家庭環境に問題を抱えていた
とされています。
この母親を仮にAとして、その家庭事情を見てみましょう。
Aは成績の優秀な姉と比較されることに対してプレッシャーを感じ、意図的に体調不良を引き起こして母親や周囲の心配や関心を集めようとすることがあったといいます。
また、中学時代には自傷行為に及んでおり、その後は母親が自分に優しく接するようになったという経験を持っています。
こういった、周囲に心配してもらうため自分で自分の体調を悪化させるような行動をミュンヒハウゼン症候群といいますが、代理ミュンヒハウゼン症候群はミュンヒハウゼン症候群を経験している人がなりやすいとも考えられています。
問題はこれにとどまりません。
Aが高校生のとき、Aの母親が交通事故で亡くなってしまうのです。
元々父親は母親に対して暴力を振るっていたということですが、母親の死をきっかけに暴力はAにも向かうようになったといいます。
このような事実から、事件を引き起こした母親は非常に厳しい家庭環境で育ってきたということがわかります。
それが代理ミュンヒハウゼン症候群のような
「周りに認められたい」という感情
に基づく虐待行為に及んだこととまったく無関係であると考えるのは難しいでしょう。
もちろん、そういった家庭環境によって虐待が正当化されることはありません。
しかしこういった背景を無視してただ個人の責任として追及するだけでは、今後同じような事件を防ぐことはできないのではないでしょうか。
もしもこの母親が幼い頃に、あるいは自身が子どもを産んでから、周囲が適切に手を差し伸べられていたら何かが変わっていた可能性もあったのではないかと思われます。
育児にはたくさんの問題がつきまといます。
家族の問題として抱え込んだり抱え込ませたりせず、地域や社会ぐるみで支え合っていく必要があると思います。
そのためには私たち個人個人が、
身近なところで誰かが人知れず苦しんでいないだろうか、と日々気を配っていくことが重要なのではないでしょうか。
参考URL
・子どもの虹情報研修センター『児童虐待に関する文献研究-児童虐待重大事例の分析(第2報)』、P.75-93