フランス革命って王様が逃げたから勃発って本当?【革命編】
フランス革命の激動を生きた「最後の王」ルイ16世について紹介していきたいと思います!
今回は、フランス革命はこうして起きた!という点までを簡単にさらっていきましょう!
過去の記事はこちらからどうぞ!
王朝と国民の間で揺れたルイ16世
徐々にルイ16世は、国民と伝統ある王朝の間で、揺さぶられる日々に悩まされるようになっていきました。
一つの契機となるのが、全国三部会と呼ばれる、聖職者・平民・貴族からなる三種類の身分が存在する議会です!
これは日本にもある国会の前身とされ、“世界初の国会”と言えます!
そして時代は進みます。
名前は聞いたことがあるかもしれませんが、「バスティーユ襲撃事件」という事件が起きます。
国民に人気のあったジャック・ニッケルという人物を、政府がクビにしたことから国民が怒り、バスティーユにあった監獄を襲撃しました。
これにより世論は一気に革命へと動き出しました。
しかし重要な点があります。
ここまでの革命は、”国王ありき”の革命であったということです。
国民は革命後の世界にも国王が必要であると信じていたし、何よりルイ16世を支持していました!
ヴァレンヌ逃亡事件とは?
ルイ16世は王室の伝統と、国民の総意の間で揺れ動き、悩み、ひどく憔悴しきっていました。
そんな折、事件が起こります。
パリに軟禁されていたルイ16世が、妻と逃亡を図ったのです!!
しかし王室の暮らしに慣れていたルイ16世は、従者たち数十人を引き連れて大きな馬車で移動したため、速度も遅く、ヴァレンヌ地方で逮捕され、パリに連れ戻されてしまいます!
これを機に革命派はルイ16世を見限り、王を処刑し、血を持って革命とするフランス革命の火蓋が切って落とされたのでした!
フランス革命のはじまり!
ついに始まったフランス革命!
ここから怒涛の展開があり、ナポレオンの軍事政権成立まで様々な出来事が起こります。
次回以降はその行く末についてもご紹介していきましょう!
それでは!