人々を救った!青木昆陽とサツマイモの奇跡とは

青木昆陽という名前、あまり馴染みないかもしれません。この人はおいしいサツマイモと関係の深い偉人なんです。そんな青木昆陽に今回は迫ります!

サツマイモ

引用:http://benpi-ch.net/foods/sweet-potato.html

 

ホクホクしておいしいサツマイモ

焼いてよし、天ぷらにしてよし、お酒にしてもよし。

 

そんなサツマイモの関係の深い人が青木昆陽(1698-1769)です。

 

では、サツマイモと青木昆陽がどう関係しているのかご紹介していきたいと思います。

 

青木昆陽の生い立ち

 

青木昆陽

引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/青木昆陽

 

青木昆陽は、江戸日本橋の魚屋の子として生まれました。

幼いときより学問を志し、京都の高名な先生に儒学を学びます。

27歳のときに江戸で塾を開き、やがて江戸町奉行にみとめられました。

 

享保の大飢饉の発生

 

そんななか、1732年、享保の大飢饉が起きます。

この年、西日本諸地域でウンカ(稲の害となる昆虫)が大発生しました。

さらに、冷夏であったため、収穫のなくなった農村を中心に深刻な食糧難に陥りました。

この飢饉では、最終的に1万人以上が命を落としたという伝えられています。

 

≪享保の大飢饉の原因となったウンカ≫

ウンカ

引用:http://tokyoinsects2.blog.fc2.com/blog-entry-856.html?sp

 

≪享保の大飢饉≫

享保の改革

引用:http://www.kjclub.com/jp/exchange/photo/read.php?uid=8710&fid=8710&thread=1000000&idx=1&page=22&tname=exc_board_14&number=5197

 

サツマイモの普及活動開始!

 

時の将軍、徳川吉宗はサツマイモの生産を奨励していた薩摩(現在の鹿児島県あたり)で

餓死者がほとんど出なかったという点に着目しました。

 

薩摩

引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/薩摩

 

 

そこに江戸町奉行が、かねてよりサツマイモを非常食にと研究していた儒学者・青木昆陽を徳川吉宗に推挙しました。

米に頼らない食糧体制に頭を抱えていた徳川吉宗に、青木昆陽はサツマイモについての本をまとめあげました。

 

 

サツマイモは、天候の不順や荒れた土地、病気にも負けずに育つ。そのうえ、栄養価は高く、長期保存が可能

こうした特徴に目を付けた徳川吉宗は、青木昆陽を登用し関東地方におけるサツマイモ普及活動に乗り出しました。

 

 

苦労の末、試作地にてサツマイモを栽培させた青木昆陽は

栽培地域を増やしていき、徐々にサツマイモ栽培を定着化させていきました。

 

ルート

引用:https://www.kagoshima-shoku.com/2266

 

 

さらに、青木昆陽はサツマイモの栽培法と貯蔵法、利用法などをまとめた本「甘藷記」を記しました。

 

 

こうした、青木昆陽の功績のおかげで

後に起きた天明の大飢饉ではサツマイモが多くの人の命を救ったと伝えられています。

 

青木昆陽墓

引用:http://blog.livedoor.jp/aura1810990071/archives/45233384.html

 

 

こうして、サツマイモが日本全国に普及されたおかげで戦時中にも非常食として食されて来ました。

いま、私たちがおいしいサツマイモを食べれるのは青木昆陽のおかげといっても過言ではないかもしれませんね。

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